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新しいブログ「新川悠々亭日乗」に移転します

隅田川東岸に住むということで、「墨東悠々亭日乗」を名乗ってきました。
長らくご愛読いただきましたが、老母のサポートをするため、高校時代までを過ごした新潟に拠点を移すことになりました。

東京では、すぐ傍を隅田川が流れていました。
新潟でも、すぐ傍を「新川(しんかわ)という川が流れていることから、ブログ名も「新川悠々亭日乗」といたしました。

インターネットと通信環境が整っていれば、物書きの仕事は場所を選びません。
これからしばらく、東京と新潟を行ったり来たりのパターンが続きます。
これからは、「新潟という地方」という新たな視点を加えて、新鮮な第一次情報を伝えていくことにいたします。

これまでは、書いては途切れ、書いては途切れのくり返しでした。
それでも、現在、毎日、数十人の方がアクセスしてくださっているようです。
これからは、一生懸命書きます。
よろしくご愛読のほどをお願い申し上げます

アドレスは以下の通りです。

『新川悠々亭日乗』
http://komata55.blog.so-net.ne.jp/



東国原英夫氏の『決断の真実』が好評発売中!

私が取材・原稿等で協力した、東国原英夫氏の『決断の真実』(創英社/三省堂書店・1575円)が7月1日、発売になりました。
いま、ご本人もテレビのワイドショーや書店でのサイン会などに登場し、話題になっています。

『決断の真実』(東国原英夫・創英社/三省堂書店・1575円)

<amazon.comの紹介文から>
これまで、事があるたびに自分をさらけ出し、詳細を語ってきた東国原英夫。しかし問題の渦中にあるときは、どうしても真実を語れないこともあった。
本書は、幾度となくあった「決断の場面」で、実際にはどのような人間模様が展開されていたのか。
「決断の時」に、どのように考え行動したのか、「決断の真実」を東国原英夫が明かす。

第1章 宮崎県知事選出馬の真実 2006年12月
第2章 国政転身騒動「東国原ショック」の真実 2009年6月
第3章 宮崎県知事任期満了退任、不出馬の真実 2011年1月
第4章 東京都知事選立候補の真実 2011年3月
第5章 今だからこそ言える真実

取材は、宮崎県知事を辞し、東京都知事選に出馬の渦中で行われました。
3.11の東日本大震災などをはさんで、状況が大きく流動し、結果的に知事選では敗れましたが、貴重な「真実の数々」を聞くことができました。
amazonの紹介文にあるように、幾度となくあった決断の時に、東国原氏がどのように考え行動したのかが赤裸々に語られています。
ぜひ、ご一読いただきたいと思います。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

純正律音楽のダウンロードができます

4年前の9月に、「都電コンサート」と題して、純正律音楽のことを書いた。

玉木宏樹さんという純正律音楽家(バイオリニスト)のことを書いたのだが・・・・そのときのエントリが以下ですので、お読みください。
        ↓
http://comachin.blog.so-net.ne.jp/2007-09-12

その玉木さんが、今回の大震災を受けて、純正律音楽のダウンロードができるサイトを開設してくれた。

純正律とは、どんな音楽か・・・・。
ぜひ、聴いてみてください。
いいですよ。

http://www.tamakihiroki.com/


東京は被災地なのか?

<3月15日に他の私のブログで書いたものを掲載したものです。前回の続編です>

いやはや、すさまじい光景を目にした。

東北の被災地では水や食料がなくて困っているのに、東京のスーパーでは、カップラーメンを何十個も買い占めている人がいるのである。
豆腐や納豆のコーナーも、からっぽ。
もちろん、米も売り切れ。

「○○(子供の名前らしい)、そっちのスーパーでカップラーメン20個、確保してね。ノルマよ」
などと、ケータイに叫んでいる母親がいる。
学校が休みなので、親子総出で買い出しにでかけているらしい。

ドラッグストアの前では「ボディシャンプーを、昨日と今日で30本づつ確保した」と、にんまりしているおばさんを目撃した。
昭和47年のオイルショックのときのように、もちろん、トイレットペーパーも売り切れだ。

被災地では、粛々と定めに従っているのに、ここ、東京では買い物をめぐって怒号が飛んでいる。

カップラーメンやシャンプーをうずたかく積み上げて、「これで一安心」とにっこりしている家族の姿が目に浮かぶ。
じつにおめでたい。

前回は、日本に暴動や略奪がなくて立派だと書いたが、これでは、買い占めに名を借りた略奪ではないか。

いつまでこんな混乱が続くのだろうか。
(2011/3/15)

心からお見舞い申し上げます

東北・太平洋大震災で被災された方に、心からお見舞い申し上げます。

1000年に1度の大地震だと言っている。
3日前からずっとずっと、テレビの映像を眺め続けている。
孤立した被災地で立ち往生している当事者の皆さんの心境を思うと、声も出ない。

私にとって地震といえば、1964年の新潟地震だ。
その年、私は大学に入学して上京していて、夕方、行った晴海のバイト先で知らされた。
「きみは新潟だろう。大変なことが起こってるぞ」
あわててバスに乗り、有楽町駅前の毎日新聞の号外で、黒煙を上げて炎上する昭和石油や橋桁が落ちた信濃川の風景を目撃して慄然となった。
当時暮らしていた新潟県学生寮に帰ると、先輩たちがクルマに食料や水を積み込んで出かけるところだった。
だが、三国峠で警察や自衛隊に追い返されてしまった。
市内の高校に通っていた弟と、新潟市役所に勤めていた父が、家まで2時間かけて帰宅したという話をあとで聞いた。

7年前の新潟中越地震のときは、市内の病院に入院していた母の見舞いに行くため、上越新幹線の越後湯沢~長岡間をバスで行かねばならず、いつも片道5時間もかかった覚えがある。

今回の地震発生時、私は神保町の出版社のロビーにいて、「震度5の東京の地震」のありさまを目撃した。
すぐに、震源地は東北沖ということがわかったが、東京を直下型の地震が襲ったらどうなるのだろうと、そのシーンを想像して恐ろしくなった。
JRも地下鉄も運転中止になったので、歩いて帰ることにした。
群衆の中で、「これが帰宅難民か」と思いつつ、父と弟もこんな気持ちで歩いたのだろうかと40数年前新潟に思いをはせた。

だが今回、東京は被災地ではなかった。
私は、たまにはいい運動になるかもと、1時間かけて歩いただけ。
その後の、テレビの画面に映し出される光景には、ただただ驚愕させられるだけ。
被災された人たちや、その家族、友人、知人の方の心境を思って、出るのはうめき声だけだ。

それにしても、アメリカなどではこうした事態になるとすぐに略奪や暴動が起きるのに、粛々と、まるで運命に従うように行動している日本人、日本の社会はつくづく立派だなあと思う。

自然災害に限らず、あまりにも高度化されている社会だから、この日本でも、いつ、何が起こっても不思議でなく、事業継続が不可能になる会社が出たり、個人の生活が脅かされるシーンが生じても不思議ではない。

新型インフルエンザの問題を含め、ここ5年ほど、企業の事業継続計画(BCP)のことを調べてきた。
地震や水害などの自然災害や、テロやITトラブル、新型インフルエンザなどでビジネスが中断されたときに、いかに早く事業に復帰できるようにするか、ふだんからどのような体制を整えておくかといったことを考えるマネジメント・システムだ。
低迷する景気のせいもあるが、もともと日本の中小企業のトップには危機に関する意識が薄く、なかなかBCPを導入することに積極的な理解を示してくれなかった。
今回のことで、少し状況は変わってくれるのだろうか。

そういえば、私が子供の頃は、寝るときは衣服をたたんで布団に入ったものだ。
企業だけでなく、私たち個人も、いつ、何が起こってもいいように、準備をしておくべきだと痛感した(これを書いている間も、時々、横揺れが続いている)。

「イケメン」より「イクメン」?

「イクメン」という言葉が、昨年の流行語大賞候補にノミネートされた。
イクメンとは、「育児をする男性」のこと。
1年前の今頃、厚生労働大臣が「イクメンという言葉を流行らせたい」と述べ、6月に「イクメンプロジェクト」を設置。
育児休暇を取得する男性を2017年に10%、2020年に13%にするという目標を打ち出した。
その背景には、2007年度に育児休暇を取った男性がわずか1.56%しかいなかったという実情がある。
欧米社会ではイクメンが当たり前である。
欧米の企業には残業、飲み会といった習慣がない。
仕事が終わればさっさと帰宅し、家族とコミュニケーションをもつことを大切にする。
終身雇用が壊れつつあるいま、家庭を犠牲にして会社に尽くしても、見返りは保証されない。
20~30代の男性には、残業や同僚との飲み会よりも彼女とのデートや家庭を優先する傾向が見えている。
企業の中にも、イクメンを重視することが人材の確保や仕事の生産性を高め、新しい発想や創造性を生み出すとして、経営戦略の柱に据えるところも出てきた。
イクメンで家族とのコミュニケーションが増えれば、「家庭内孤立」もなくなるし、そのなれのはてである「熟年離婚」も減るだろう。
育児を通じて近所と交わっていれば、定年後、地域コミュニティから浮いてしまうこともない。
婚活に苦戦している男性が「イクメン」を殺し文句にすれば、結婚にこぎつけられるかもしれない。逆に、「イケメンよりイクメンよ」と、「育児の協力」を結婚の条件として戦略的に使う女性も出てくるかもしれない。
10年前には、介護は女性がやることが当たり前とされていた。
いまは3割の男性がやるようになっている。
10年後、育児も「男がやることが当たり前」になっているだろうか。

(「面白1分」で書いたものを掲載)

男子厨房に入るべからず?

またしばらく間があいてしまい、秋になってしまった。

日本酒のうまい季節になった。
酒といえば、さかなをどうするか、だが・・・・。

東京は隅田川東岸のわが町には、自転車で5分の範囲にスーパーが5軒ある。
野菜を安く売っていたり、魚を豊富に揃えたり、24時間高級食材を提供したりとそれぞれ個性を主張している。
家にいる日は、夕方になると「きょうは、どの店で何を探そうか」と心が騒ぎ始める。
日本酒党なので、酒の肴は「魚がいちばん」である。
1軒は、いつ行っても旬の一本ものの魚が賑やかに並んでいる。
あれも食いたい、これも食いたいと、調理の仕方を考えているだけで生つばがわいてくる。

私は一匹ものを買うのだが、この店は、イカ一杯、イワシ一匹から求めに応じて調理してくれる。
ちょっと冷え込むと即座に鍋の材料が並ぶなど、お客のニーズを的確に捉えた対応も心憎く、いつも繁盛している。料理の仕方などを話しながら、買い物ができる店は楽しい。
「秋サバは嫁に食わすな」で、昨日、求めたのは体長40センチもある千葉産の真サバ。
皮は青々、つやつやと光り、身はむっちりと張って重量感がある。
これで450円。
片身の一方はしめサバに、もう一方はみそ煮にしよう。

私のしめサバは、砂糖と塩を使って水出しし、酢でしめるNHKの「ガッテン流」。
完成まで2時間半かかるので、その間にみそ煮をつくる。
数年前、「サバの臭み抜きは、ショウガよりもニンニクがうまい」と聞いて試してみて、ほんのりした甘さと味の深さに驚いた。
いまでは「サバのみそ煮はニンニクに限る」とガッテンしている(一度お試しを)。

男の料理は、カネを惜しまず買い込んで、手間ひまかけてつくるのだから美味しいに決まっている――昔の女性陣の常套句である。
しかし、あれこれ考えながらつくるので、クリエイティブの喜びがあるし、両手を使うので、楽器を演奏するときのように心と体がわくわくするのがわかる。
料理作りは脳を活性化するので、ぼけ防止にもつながる。
将来、一人で料理をしなければならない事態も考えて、男子もどんどん厨房に立つべきだと思う。
男子厨房にどんどん入れ――。
それとも、台所で夫にうろうろされるのは困る?

*あまりにも間が空きすぎたので、「キーハウス」というところから出しているメルマガ「面白一分」に書いた文章を転載しました。

夏が往く、人も逝く。

個人的な話だが、芸能リポーターの梨本勝氏が亡くなった。

梨本ちゃんと逢ったのは、今から40年近く前の昭和47年。
当時、立花隆さんが出していた新宿ゴールデン街の「ガルガンチュア立花」という店だった。
私は「週刊現代」の記者で、かれは同じ講談社の「ヤングレディ」の記者だった。

目をぐリぐりさせ、身ぶり手ぶりをまぜながら機関銃のようにまくしたてる、そのパフォーマンスに、駆け出しの週刊誌記者だった私は、「なるほど芸能記者とはこのような存在か」と感心させられたものだ。

そうした梨本独特のパフォーマンスが、活字の記者タイプでなく、映像向きととらえる人が多かったのだろう、彼は誘われて、その後、テレビの芸能リポーターに転身した。
その後の活躍ぶりは言わずもがなである。

たばこも吸わなかったのに、肺がんとは・・・・。
そして、私と同い年。

夏が往く。
私は、なんとかこの夏を越えられそうだが、越えられずに逝ってしまった友人がこの夏3人になった。

今週は、浅草の夏の最後を盛り上げる「浅草サンバカーニバル」。
老体ながら、若いもんに混じって、カーニバルの行列の中で腰をひねることができる私は幸せだ。

*「浅草サンバカーニバル」については、昨年の8月のブログ「浅草サンバカーニバル」を参照ください。

がんばれ 双子の兄弟力士!

隅田川東岸の下町に住んで30年になる。

F君に逢ったのは半年前。近所のコインランドリーで大きな洗濯物を洗っているときだった。
近くの相撲部屋の新米力士らしい若者が入ってきたのだ。
「失礼します。これは空いていますか。使ってよろしいでしょうか」
大きなはっきりした口調で挨拶し、上半身をきちんと折ってお辞儀をする。
最近の若者に珍しい、すがすがしい印象を与える挨拶ぶり。
だいいち、ふつうの若者は、こんなところで逢っても、会釈すらしないだろう。
親方や、周りの先輩たちの躾が行き届いているのだろうか。

「どこの部屋?」 
彼は、近くの名門相撲部屋と自分のしこ名を口にした。
東北の高校を卒業して、半年前に入門。前相撲から二場所続けて勝ち越していると言った。
身長は190センチ超と思われる。
濃い眉とすっきりした鼻筋、優しそうな目元。
日本人離れした顔がなんとも印象的だ。
聞いてみると、何と、アメリカ人と日本人の両親の間に生まれたハーフで、彼と容貌も体格もそっくりの双子の弟が同じ部屋にいるのだそうだ。

両国界隈には相撲部屋が18ほどあって、携帯電話がなかった20年ほど前には、夜中に、公衆電話に泣きながらすがりついている新米力士の姿をよくみかけたものだ。
新弟子検査を受ける若者が減り、外国人に頼らざるをえない状態が続いている。
若貴時代には当然のように続いた満員御礼も減った。
時代に合わせて変わりきれない古い体質が一連の不祥事の背景にあるようだ。

しかし、どういう事情があるにしろ、ファンは「いい相撲」を見たいのだ。
プロスポーツとして興業を続けていくには、一流の才能を持つ若者を集めてしっかり育てていくことが親方や先輩力士の第一の仕事だろう。
スピード出世の栃東や朝青龍でさえ、入幕まで丸2年(12場所)かかった。
部屋のホームページでチェックしてみたところ、いま、F兄弟は序二段の40枚目あたりにいる。
彼らをテレビの相撲中継で見られるのはいつになるのだろう。

厳しい環境に耐え、ぜひ出世して、日本中を沸かせる相撲をとってもらいたい。
若貴とは違った双子の兄弟力士として新しい角界を盛り上げてもらいものだ。

ツイッターにご用心

前回は、「ツイッターは個人がメディアを持つことを可能にする」ということについて、主婦向けのメルマガに書いた文章を紹介しましたた。
今回は、その続編を書いた文章を引用するとともに、「ツイッターにご用心」という文章も追加したいと思います。


で、ツイッターってどういうふうに使うの?

ツイッターは面白そうだけど、何に使うの? そんな疑問が聞こえてきそうだ。そこで、いろいろなシーンを想定してみた。
まず、ツイッターを家族とのコミュニケーションに使うというシーンは見えてこない。
すでに、メールや電話など当人同士がダイレクトにつながる双方向のツールがあるからだ。
私は使い始めて日が浅いが、ツイッターが面白いと思うのは次の点にある。
自分が関心を持っている分野の人たちのアカウントを通じて、マスメディアよりも早く、有益な情報がリアルタイムに入手できることだ。
まず、芸能人、企業の社長、政治家、商品開発担当者、誰でもいい、自分の関心のある人をフォローし、そこでどんなコミュニケーションが行われているか覗いてみることをおすすめしたい。
ソフトバンク社長の孫正義さんは、ツイッターへの投稿をきっかけに身障者の通話料金を無料にしたり、本社食堂へ見学者を2千人も招いたりして注目されている。
鳩山総理のアカウントでは、46万人ものフォロワーの投稿を読むことができる。気が向いたら、つぶやいてもいい。
テレビの情報番組では、ツイッターで送られてきた視聴者の意見が画面でどんどん紹介されている。
ラジオの音楽番組では、DJがツイッターとユーストリームを使って「見えるラジオ」をやっている。リスナーの番組へのつぶやきがオンエアの随所で当たり前のように紹介され、盛り上がっている。
ケンコーコムは、ツイッターを使った体重管理サービス「kilokun diet」を開始した。
毎日の体重の変化を投稿・記録し、ダイエットに利用できる。
スタッフも励ましやアドバイスを返してくれる。のぞいてみると、ダイエットに挑戦している人たちの生の声が並んでいる。
制限文字数「140文字以内」が厳しそうに感じられるが、日本語は意外に表現力を持っているのだ。
感動したら「わ~お!!」の一言でもいいし、ひねりにひねったダジャレでもいい。
必ず、新しいコミュニケーションが始まるはずです。


というようなことを(無責任にも)書いてしまったのだが、ツイッターも使い方によってはかなり危ない場面も生じるということがわかった。

例えば、「ITpro」の以下のような記事である(以下、ITproからの引用)。

情報セキュリティに関する相談や届け出を受け付けている情報処理推進機構(IPA)は2010年5月7日、マイクロブログサービス「Twitter」を悪用した攻撃が確認されているとして注意を呼びかけた。見知らぬユーザーを安易に「フォロー」すると、ウイルスサイトなどに誘導される危険性があるという。
Twitterには、ほかのユーザーの「ツイート(つぶやき、投稿)」を、自分の「タイムライン(ツイートの一覧表示機能)」に表示する「フォロー」という仕組みがある。あるユーザーをフォローすれば、そのユーザーのツイートが、リアルタイムで自分のタイムラインに表示されるようになる。
攻撃者はこの仕組みを悪用して、ターゲットとしたユーザーのタイムラインに、危険なURLを表示させようとするという。まず、攻撃者はターゲットとしたユーザーをフォローする。するとユーザーの多くは、知らない相手であっても、自分をフォローしたユーザーをフォローする。これは「フォロー返し」と呼ばれ、安易に行われがちだという。
 これにより、ユーザーのタイムラインには、攻撃者のツイートが表示されるようになる。次に攻撃者は、ユーザーの興味を引くような文章とともに、わなの URL(リンク)をツイート。ユーザーがURLをクリックすると、ウイルスなどが置かれた危険なサイトに誘導されて被害に遭う(図)。特に、 TwitterではURLをそのまま表示せずに、短縮URL使うため、被害に遭いやすいという。
Twitterを悪用した攻撃の被害に遭わないためには、(1)安易にフォローしないこと、(2)ツイートに書かれているURLを安易にクリックしないこと――が重要だとしている。(1)については、相手が有名人のように見えても、攻撃者がなりすましている危険性があるので要注意としている。例えば、「芸能人をフォローしたと思っていたら実は偽物で、だまされて偽のコンサートチケットを購入するなどの詐欺被害に遭うことも考えられます」と警告している。


ツイッターにご用心

見知らぬものは面白い、新しいものは面白い。
だからといって、無防備に飛びついてはいけない。
IT化が急激に進む現代にあっては、新しいテクノロジーなりツールが紹介されるたびに、つい飛びつきたくなるが、そこは「未知の領域」であるのだという認識がつねに必要になると思う。

上記の記事を読んで、私が思い出したのは、はるか、60年以上も前の、自分自身のある光景だった。
その頃、私の育った新潟のいなかの町には、映画も時々上映する芝居小屋があって、年に数回、旅回りの一座がやってきては芝居を上演していた。
祖母に連れられて、チャンバラやお涙ちょうだいの、今から思えばハラハラどきどきの芝居を見に行ったものだった。

あるとき、やはり旅の一座がやってきて、リヤカーに鳴り物を乗せ、(確か)ちょんまげ姿で、町の辻々で口上を述べながら私の家の前も通り過ぎていった(のだと思う)。
そんな、ホンモノのサムライ(や着物姿のかわいい女の子)が現実にいるということにびっくりして、つい、その後をついて行ったしまった(のだと思う)。
気がついたら、見たこともない、行ったこともない町のはずれで、迷子になって途方に暮れていたのだ。
どのように家につれて帰ってもらったか、覚えていない。

あのときの、旅の一座の行列の後についていったハラハラどきどきの好奇心と緊張感、その後の、いいようのない恐怖感と淋しさはいまでもはっきり憶えている。

ツイッターとは直接関係がないかもしれないが、上記の記事を読んで思い出したのが60年前の私自身の個人的なシーンだった。
みなさん、新しいもの、初めて見るものは刺激的で魅力的だけれど、くれぐれも気をつけましょう。

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