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個人がメディアになる時代・・・・ツイッターについて

個人がメディアになる時代がやってきた。

「これから第2回目のリアル鳩カフェです。今日は食と農のカフェということで、官邸の庭のバーベキューからスタートです」。
鳩山首相が4月4日(日)に「ツイッター(Tweet=(小鳥のさえずりの意から転じて「つぶやき」の訳)」でつぶやいた言葉である。
政治家、芸能人、ジャーナリスト、企業のトップ、広告担当者、そして一般の人々まで、いまあらゆる人がつぶやいている。

インターネット上の「ツイッター(http://twinavi.jp/)」に登録すると、誰でもパソコンや携帯電話で、投稿(ツイート=つぶやき)ができる。
誰かを登録(フォロー)すると、その人のつぶやきがリアルタイムに自分の画面に伝わり、それに返信もできる。自分の投稿を読んでいる人(フォロワー)がどんな人かもわかる。
ちなみに、鳩山さんのフォロワーは45万8千人、鳩山さんがフォローしている人は5万8千人である。

ツイッターのもっとも大きな特徴は、即時性と同時性である。
ブログが「日々」を伝えるメディアなら、ツイッターは「いま」を伝えるメディアだ。
「ユーストリーム」というサービスとドッキングさせれば、無料で動画の生中継もできる。
いわば「一人テレビ局」。
ツイッターを持てば、すべての人がメディアになれるのだ。
だから企業も、ダイレクトに消費者とコミュニケーションを持とうと、さまざまな仕掛けを試み始めた。

自分の問わず語りのつぶやきに、思いもかけない反応があれば嬉しい。
ツイッター人気が拡大していく理由だろう。とるに足らない情報は無視され、価値ある情報は口コミでまたたく間に拡大していく。
結局は、正しい情報のみ生き残る? 
この新しいコミュニケーション手段をどう使うかは本人の自由。触らずに通り過ぎるか、あるいは積極的に楽しむのか。
あなたも一度、つぶやいてみますか?

(あるメルマガに書いた「ツイッター」に関する文章である。次回は、具体的な使い方について掲載したい)

「野球のソムリエ」

谷沢健一さんが「野球のソムリエ」という本を出した(総合企画・1200円)。
本の企画、取材などにたずさわった者として、ぜひ紹介したい。

谷沢健一といえば、もと中日ドラゴンズの選手で野球解説者という認識が一般的だろう。
じつは、人にあまり知られていない、いくつかの顔を持っているのだ。

谷沢さんは、現役を引退し、野球解説者をしていたが、50歳を前にして、早稲田大学大学院に入学する。
「元プロ野球選手、野球解説者で終わりたくない・・・・何をするべきか」をつかむためだった。
この大学院入学がきっかけになり、のちに早稲田大学客員教授となる。

一方で、出身地の千葉県柏市に野球のクラブチーム「YBCフェニーズ」を結成し、野球に情熱を燃やす若者たちの受け皿になる。

さらに、昨年秋に誕生した独立リーグ(三重スリーアローズ)のアドバイザーになり、こんどはアマとプロの橋渡し役になろうとしている。

中日ドラゴンズ選手→プロ野球解説者→早稲田大学客員教授→クラブチーム監督→独立リーグアドバイザーと、いわば「五足のわらじ」をはきかえてきたのだ。
「野球のソムリエ」には、野球を知り尽くした男・谷沢さんの、「50を過ぎてからの人生」が綴られている。

谷沢さんの根底にあるのは、野球に対する限りない愛情はもちろんのことだが、野球の裾野を広げるための場を、たとえ小さくてもいいから作りたいという情熱だろう。
プロとアマの世界を知っている男だからこそ、できる仕事なのに違いない。

野球王国アメリカのファンたちが、地元のマイナーリーグや独立リーグのゲームに気軽に足を運ぶように、日本でも、これから各地で作られる独立リーグの球場に足を運び、ひいきのチームを応援する・・・・そんな光景が見られるようになるのだろうか。

谷沢さんのブログ「谷沢健一ニューアマチュアリズム」は以下のアドレスです。

http://www.yazawa2005.jp/

「ひかり電話」と「ひかりTV」

数年前に、それまで使っていたTVの映りが悪くなったので、入れ替えることにした。
2011年7月に「地デジ」に移行するということがわかっていたので、「地デジ対応」も考えたが、2011年7月までに液晶やその他の技術も進んでいくはずなので、時期尚早だと思った。
それまではとりあえずアナログ放送が見られればOKということで、ネット通販で、1万数千円の21型アナログのブラウン管の受像器を導入した。
「2011年に、最新の地デジ対応を導入すればいい」と考えたのだ。

4年前に、仕事場を移したときに、部屋にはNTTのフレッツ光回線が入っていたので、インターネットへの接続とひかり電話に切り替えた。
ひかり電話は、従来の固定の電話から切り替えるだけで、月々の料金が安くなるというメリットがあった。
ただ、「一部の電話番号につながらない」という不都合もあったが、個人的にはほとんど影響がなかった。

最近、ひかり電話に加入していれば、「ひかりTV」が見られるということを知った。
なにがしかの料金を払えば、映画、音楽、スポーツなど数十ものチャンネルが用意されている。
CNNやBBCも1日中見られるし、スポーツ番組では、一般のTV放送ではやらないラグビーの中継などもやっている。
しかし、何よりも、グリーンチャンネル(オプション)で競馬中継が見られるというのが、導入の大きな決め手になった。

ところが最近、ひかりTVなら、アンテナやチューナーなどを用意せずとも、地デジの放送も見られるということが新たにわかった。
前述のように、いまのTVを導入したときに、2011年の地デジ対応TVの導入を想定していたのだが、このままでも(アナログなのでTVの映像の質はともかく)地デジが見られることがわかったのだ。
ずいぶん、得をしたような気分である。

先日のNTTの発表によると、いま、フレッツ光回線の加入件数は1280万回線、そのうちの75%に当たる960万件がひかり電話に切り替えているという(そのうちのどれくらいがひかりTVを見ているのだろう)。
携帯電話の普及もあって、従来の「メタルによる固定電話」ユーザーは年々減少しており、設備も老朽化しているという。
NTTとしても、従来の固定電話をこれからも続けていっても収益に見合わない。
これからは、光回線への切り替えがもっと進むようになる、とすると、一部で「つながらなくて困る」人たちも出てくるかもしれない。
なにしろ、従来の固定電話は、「つながらないことはない電話」だったからだ。
あるいはもしかすると、ひかり電話にも改良が加えられ、つながらないことはない電話になる可能性もある(その場合は、料金が上がるのだろうか)。

そうした多少のデメリットはともかく、来年の地デジをどのように見ようか迷っている人には、光回線によるひかりTVの導入も一考の余地があるのではないだろうか(とっいって、NTTのまわし者ではありません)。

ひかりTV導入から1週間。
見逃していた映画を10本ほど見たし、グリーンチャンネルの競馬中継も快適だし、なによりも、これまでのように、民放のチャンネルなどでバカなお笑いタレントどもによる安上がり番組につきあわされなくてすむようになったメリットが大きい。

通信と放送の融合・・・・IT技術の進歩で、10年前には想像もできなかったことが、現実となっている。
これからも、画期的な技術が次々と生まれ、そのメリットを享受できるようになるだろう。
年はとっても、新しい技術には敏感に、積極的に取り入れていきたいものだ。

百貨店が消える、街が変わる

ぼくが育った新潟市の大和百貨店が閉鎖されることになった。
幼い頃、汽車に乗り(当時は蒸気機関車とディーゼルカー)、白山公園から古町通りを歩いて、古町交差点にある大和百貨店(そういえば、小林百貨店もあった)までいき、かねてから欲しかったものを買ってもらい、食堂でカレーライスを食べ、屋上の遊園地で遊ぶ・・・・何もない、貧しかった時代、デパートに行くということは、年に何日かしかない「ハレの日」の一大イベントだったのだ。

いま、全国の街から百貨店が消えている。
少子化による人口減、景気低迷による個人消費の減少、郊外のショッピングセンターへの顧客流出、そして何よりも、高級ブランドなど高級商品を品揃えして客を待つというビジネススタイルが消費者のニーズに応えられなくなってしまったことが大きい。
人口増加、高度成長を前提としてきたこれまでの社会のあり方が変わってしまったのだから、仕方のないことなのかもしれない。
古町通りの人の動きは、どのように変わっていくのだろう。

もうひとつ、残念なことがあった。
前回触れた、わが母校の選抜高校野球への出場がだめになったのだ。
秋の県大会で、昨夏の甲子園で準優勝した日本文理高校に勝ち、2位の成績で終わったので、「もしかすると、21世紀枠で出場できるかもしれない」とささやかれていたのだ。
結局、新潟県勢の出場はなく、「21世紀枠の補欠」ということになってしまった。
これまで、夏の大会で勝ち抜いて甲子園へ出ることなど、ほとんど絶望的な状況だったので、今度こそはとひそかに期待していたのだが・・・・。
「行くことになったら、寄付集めが大変だ」などと話していた心配も杞憂に終わった。

ぼくが高校生の頃、ブラスバンドがなかったので、ジャズをやっていたぼくたちが、夏の野球部の応援にかり出され、炎天下の野球場で「セントルイスブルース」や「聖者の行進」を演奏したものだった。
1度でいいから、甲子園球場で校歌を演奏してみたいなあ。

第4回「安吾賞」に渡辺 謙さん。

新潟市ゆかりの作家・坂口安吾は、文学だけでなく、何事にも一生懸命に挑み続ける人だった。
敗戦で虚脱した日本に登場し、戦後の日本に喝を入れたように、生き甲斐を見失って途方に暮れている日本人に「大いなる喝を入れること」が必要、ということで、日本人に勇気と元気を与え、明日への指針を示すことで現代の世相に渇を入れた人や団体に贈る賞として4年前に新潟市が開設したのが「安吾賞」である。

第1回目は演出家の野田秀樹さん、第2回目はアルピニストの野口健さん、第3回目が作家の瀬戸内寂聴さんだった。
顔ぶれからわかるように(瀬戸内さんは別にして)、「安吾賞」は文学賞ではない。
現代の安吾に光を当てた人に贈られる、いわば「生きざま賞」のようなものである。

先日、ホテルニューオータニで、安吾賞の受賞者発表会が行われた。
受賞者が世界的な俳優、ということもあってか、報道人も大勢顔を見せていた。
いろいろなメディアに取り上げられれば、安吾賞の、新潟市の認知度も上がっていくことになる。

渡辺さんは、奇しくも新潟県魚沼市の出身。
両親はいまも長岡市に住み、渡辺さん自身「新潟の雪景色が心の原点」と言っていた。
新年を迎えて以来、東京は毎日、目もくらむような「ドピーカン」の青空が続いてきたが、そういう時は、日本海側は必ず雪か雨である。
今年は、何十年ぶりの大雪とか・・・・。
雪国出身者は粘り強い、と昔はよくいわれたものだが、それも寒くてつらい冬の季節を堪え忍ぶ生活があるからかもしれない。
そう思ってきたのだが、新潟を離れて40数年、その実感もあやふやなものになってしまった。
もう一度、自分自身にも「喝」を入れなければ。

発表会の席で、新潟市長の篠田さんが「新潟高校が、春の選抜高校野球に、21世紀枠で出場できるかもしれない」とうれしそうに話していた。
自慢ではないが、わが新潟高校は学校創立から120年以上もたつのに、1度も甲子園に行ったことがない。
昨年の秋の県大会では、夏の甲子園の準優勝校日本文理に勝って準優勝したのだという。
選抜の選考会は明日(29日)だとか。
21世紀枠でもなんでもいいから、ぜひ、出場を決めてもらいたいものだ。

昨年8月の「浅草サンバカーニバル」から、またもや長期休養に入ってしまっていた。
これから、また、どれくらいのペースで、どこまで続けられるのか・・・・マイペースでいくことにします。

浅草サンバカーニバル


明日は、浅草サンバカーニバルの日である。
今年は29回目。
最初、浅草でサンバカーニバルと聞いたとき、なんで浅草で?と思ったものだが、いまは夏の終わりの一大イベントとしてすっかり定着した。

サンバは、20世紀の初め頃、ブラジル・リオデジャネイロの山の上(「ファベーラ」と呼ばれる貧民窟)の人たちから始まった。
乱暴な言い方だが、アフリカからアメリカに上陸した音楽がジャズ、ブラジルに上陸した音楽がサンバのルーツだとぼくは理解している。
サンバというと、ブラジルの情熱的な明るい音楽、踊りと理解している人が多いと思う。
しかし、サンバの背景には、ジャズと同じようにアフリカから奴隷で持ち込まれた人たちの怨念が流れている。ジャズでいえば「ブルースの心」だし、サンバなら「サウダージ(郷愁)の心」。サンバは決して、陽気で明るいだけの音楽ではないのだ。
北米では皮膚の色による人種差別を生み出したが、ブラジルでは皮膚の色による差別は生じなかったものの、人種による経済格差を生み出した。今でこそ日系人も活躍しているが、長い間、ブラジルの政治、経済の主導権を握ってきたのは、ポルトガルをはじめとするヨーロッパの人々だったのだ。
リオのカーニバルは、山の上の貧民層による豊かな人たちへの抵抗、アピール、パフォーマンスとして始まったものだ。

日本では、サンバは、カーニバルなどのイメージから「ダンス」として、とらえられているかもしれないが、ぼくは「サンバは参加する音楽だ」ととらえている。歌ってもいいし、踊ってもいいし、楽器で演奏してもいい。

ぼくが浅草に参加したのは25年ほど前のことだったが、とんかく一度、何十万人という観客の前で腰を振ってしまったら、やみつきになってやめられない。
これまで、「サウーヂ」「インペリオ」などのエスコーラ(サンバチーム)で参加してきたが、明日は、パレードの一番先頭の、浅草サンバカーニバルのテーマを演奏しているグループで参加することになっている。

パレードも楽しいけれど、パレードが終わった後の公園通りあたりの飲み屋街でくり広げられる「パゴーヂ」(町中でギターを弾き、太鼓をたたいて、歌いながら、踊る)が、またじつに楽しい。
ふだんは競馬客であふれる通りのあらゆる店に楽器を持ち込んで、歌が始まり、楽器を持たない人たちもそれを囲んで歌い、踊り狂い、飲み屋街ぜんたいが「サンバストリート」と化すのだ。

メロディとリズムに身をゆだねれば、明るく楽しいのはもちろんだが、サウダーヂの音楽であることもわかってもらえると思う。ぜひ、足を運んでみてください。

「お隣さん」頑張って!

きょうは高校野球の準決勝。
新潟の日本文理高校が決勝をかけて戦う。

私は、高校まで新潟市で過ごし、大学受験で上京してはや40年以上がたった。
新潟勢は、20数年前に新潟南校がベストエイトに進んだくらいで、まったくふるわない。
わが母校も、県の予選でベストエイトに進むのがやっとという状態だった。
高校時代、私の高校にはブラスバンドがなく、私はジャズのバンドに属していたが、なんと野球の応援に駆りだされて、野球場でセントルイスブルースや聖者の行進などを吹いたものだった。

20数年前、久々に実家に帰って近所を散歩していたら、広い田んぼの真ん中に新しい学校ができていた。
それが日本文理高校だった。
ほかのスポーツはどうかわからないが、新興の私立高ということで野球に力を入れたからだろうか、選抜にも夏の大会にも顔を出すようになった。
しかし、いずれも初戦か2回戦で敗退。
あまり親近感はわかなかったが、今回だけは違う。
新潟勢にがんばってもらいたいし、なにせ日本文理は「お隣さん」なのだ。

東京は、陽光はまぶしいが、秋風が吹いている。
高校野球が終わると、秋だなあ。

いや、私にはまだ夏のイベントが残っている。
今週末(29日)は、浅草のサンバカーニバルで、いい歳をしながら、今年も参加するつもりなのだ。

堕ちた天使

どういう理由があったかしらないが、天使は地に堕ちてしまった。

天使にまつりあげられて?なかば公人となったわけだから、本人はもちろん、管理する芸能プロダクションの社長にも、天使の自覚(その背中には「危機管理」と書いてある)があってしかるべきだった。

これみよがしにそれを叩くのは自由だが、それにしても、朝から晩まで、電波も活字も、みんなで重箱の隅をつつきまわるような報道姿勢はどうなのか。

こういう事件を見るたびに、数十年前の自分自身を思い出す。
37年前、週刊誌の記者をしていたぼくは、テルアビブ事件を起こした岡本公三の足跡を洗うため、熊本に住む両親の家を訪ね、「帰ってくれ」と中から必死に閉めようとする玄関の戸に、靴先を突っ込んだのだった。

マンション建築も裾野が広い

仕事場の、道をはさんだ反対側にマンションが建つことになり、今年の春から工事が続いている。
地面の掘削から始まり、骨組みができるとコンクリートミキサー車が来てコンクリートを流し込み、ガス、水道、電気などのインフラ工事が始まり、内装業者やキッチン、バス、トイレなどの生活インフラ業者が入り・・・・と、毎日、工程にしたがってさまざまな業者が出入りしている。
自動車産業が裾野が広いというけれど、マンション建築もじつに裾野が広く、多様な業者が参加している。
そうか、住宅産業だもんな。

元請けの建設会社は聞いたこともない会社だが、これらの工程を仕切っている現場監督の仕事は面白いだろうな。
大変だろうけど、無から形をつくっていくクリエイティブな仕事なわけだから。

ワンフロアにワンルームが二つづつ、最上階の7階だけが2LDKという、マッチ箱を建てたようなマンションだが、近いうちに、ここへ新しい住人が引っ越してくる。
ここは、隅田川東岸の古くからの下町。
どんな人が、どんな思いでやってきて、どんな新しい生活を始めるのだろうか。

新型インフルエンザ・パンデミック発生?

このブログで何度か新型インフルエンザについて触れてきましたが、「トリ」ではなくて、「豚」による新型インフルエンザがついに発生しました。

いま現在、すでに感染者を出している国が8ヶ国、感染が疑われる患者がいる国が17ヶ国に及んでいるとか。
WHOは、ヒトからヒトに感染する「フェーズ4」の段階から、パンデミック(世界的大流行)の前段階である「フェーズ5」に引き上げようとしているという声も聞こえています。
こうした問題は、「狼少年」のレベルでは、実際にことが起こったときの(被害)状況を想定できないのが現実ですが、実際に発生してみると、国レベルから個人まで、実に多様で複雑な影響を及ぼす問題であることがわかります。

個人的には、この3年ほど「企業の事業継続計画(BCP)」のテーマに取り組んできて、地震や水害などの自然災害、あるいはシステム障害などが起きたときにどのように事業を継続していくか、その準備を整えておかなければならないと雑誌などに書いてきました。
じつは「新型インフルエンザ」も、ここ数十年間発生しておらず、「トリインフルエンザ」がトリからヒトに感染している事例が見られるので、ヒトからヒトへ感染する「フェーズ4」への移行はいつ起きてもおかしくないと言われる状況で、新型インフルエンザ・パンデミックに向けて企業も真剣に取り組まなければならないテーマだったのです。
そんなことを雑誌で書いたり、このブログでも書いたりして、つい最近、あるリスクマネジメントの企業の経営者と一緒に新型インフルエンザ・パンデミックに企業はどう対応したらいいかという書籍の発刊の準備を進めてきていました。
そこへ、今回の新型インフルエンザ発生です。
これからどうなるか予断を許しませんが、私自身、パンデミック関連の本作りに緊急に取り組まなければならなくなりました(忙しくなることは悪いことではありませんが・・・・)。

リスク管理は最悪のことを想定して行うもの。
個人としては、かからないように人が大勢集まるところには行かないとか、マスクや手洗いなどの防御策をきちんととる。企業も、新型インフルエンザに対するBCPを徹底することが大事だと思います。
この感染騒ぎ、パンデミックまで行ってしまうのか・・・・推移を見守りたいと思います。

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