「最後の冒険家」
「最後の冒険家」(石川直樹・集英社)を読了。
今年度の「開高健ノンフィクション賞」の受賞作である。
熱気球による冒険飛行の第一人者である神田道夫さん(今年の2月に太平洋横断に挑戦して遭難)との出逢いと別れを、若い冒険家・石川直樹さん(31歳)がつづったものだ。
神田さんは、2000年に熱気球による西ヒマラヤ最高峰ナンガパルパット越えに成功して植村直己冒険賞を受賞した。しかし、企業などのスポンサーを得て華々しくパフォーマンスを演じる冒険家ではなく、本職は埼玉県川島町役場の職員。アマチュア冒険家だ。
役職につくと好きな熱気球ができなくなるので、ヒラの職員で通し、時間をみつけては熱気球による未踏の世界記録に挑戦し続けた。
石川さんは、2004年に神田さんと一緒に太平洋横断に挑戦し、失敗して大平洋に墜落。二人とも九死に一生を得ている。
神田さんは、今年の2月に再び単独で大平洋横断に挑戦して帰らぬ人となった。
その神田さんとの出逢いと別れを平易で読みやすい文体で描いている。
なぜそこまでして無謀とも思える冒険に挑戦するのか・・・・もう少し神田道夫の内面に分け入ってほしかったが、神田道夫の冒険を淡々と描くことで、冒険に挑戦する作者自身を問いなおすことにつなげようと思ったのかもしれない。
石川さんは、世界的な冒険家、植村直己やラインホルト・メスナーの時代に、「地理的な冒険」は終わっていると書いている。
そして、冒険家という存在自体もありえないものになったという。
昔と今とでは、肉体的、地理的な冒険は、その意味がまったく異なってしまったからだ。
そして、石川さんはこう書く。
「地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験していることそのものだとぼくは思っている。日常における少しの飛躍、小さな挑戦、新しい一歩、そのすべては冒険なのだ」と。
おれは、はたして冒険しているだろうか?
なれなれしく石川さんと書いたのは、私自身、この開高健ノンフィクション賞の選考に多少関わりをもっているからだ。
21日は、集英社の他の賞(柴田錬三郎賞・・・今年は唯川恵、すばる文学賞、小説すばる新人賞)と一緒に帝国ホテルで贈賞式が行われる。
式のあとのパーティで、今年のボジョレーヌーボーを飲みながら、石川さんから生の話が聞けるのが楽しみだ。
今年度の「開高健ノンフィクション賞」の受賞作である。
熱気球による冒険飛行の第一人者である神田道夫さん(今年の2月に太平洋横断に挑戦して遭難)との出逢いと別れを、若い冒険家・石川直樹さん(31歳)がつづったものだ。
神田さんは、2000年に熱気球による西ヒマラヤ最高峰ナンガパルパット越えに成功して植村直己冒険賞を受賞した。しかし、企業などのスポンサーを得て華々しくパフォーマンスを演じる冒険家ではなく、本職は埼玉県川島町役場の職員。アマチュア冒険家だ。
役職につくと好きな熱気球ができなくなるので、ヒラの職員で通し、時間をみつけては熱気球による未踏の世界記録に挑戦し続けた。
石川さんは、2004年に神田さんと一緒に太平洋横断に挑戦し、失敗して大平洋に墜落。二人とも九死に一生を得ている。
神田さんは、今年の2月に再び単独で大平洋横断に挑戦して帰らぬ人となった。
その神田さんとの出逢いと別れを平易で読みやすい文体で描いている。
なぜそこまでして無謀とも思える冒険に挑戦するのか・・・・もう少し神田道夫の内面に分け入ってほしかったが、神田道夫の冒険を淡々と描くことで、冒険に挑戦する作者自身を問いなおすことにつなげようと思ったのかもしれない。
石川さんは、世界的な冒険家、植村直己やラインホルト・メスナーの時代に、「地理的な冒険」は終わっていると書いている。
そして、冒険家という存在自体もありえないものになったという。
昔と今とでは、肉体的、地理的な冒険は、その意味がまったく異なってしまったからだ。
そして、石川さんはこう書く。
「地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験していることそのものだとぼくは思っている。日常における少しの飛躍、小さな挑戦、新しい一歩、そのすべては冒険なのだ」と。
おれは、はたして冒険しているだろうか?
なれなれしく石川さんと書いたのは、私自身、この開高健ノンフィクション賞の選考に多少関わりをもっているからだ。
21日は、集英社の他の賞(柴田錬三郎賞・・・今年は唯川恵、すばる文学賞、小説すばる新人賞)と一緒に帝国ホテルで贈賞式が行われる。
式のあとのパーティで、今年のボジョレーヌーボーを飲みながら、石川さんから生の話が聞けるのが楽しみだ。
2008-11-19 12:30
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