夏が往く、人も逝く。
個人的な話だが、芸能リポーターの梨本勝氏が亡くなった。
梨本ちゃんと逢ったのは、今から40年近く前の昭和47年。
当時、立花隆さんが出していた新宿ゴールデン街の「ガルガンチュア立花」という店だった。
私は「週刊現代」の記者で、かれは同じ講談社の「ヤングレディ」の記者だった。
目をぐリぐりさせ、身ぶり手ぶりをまぜながら機関銃のようにまくしたてる、そのパフォーマンスに、駆け出しの週刊誌記者だった私は、「なるほど芸能記者とはこのような存在か」と感心させられたものだ。
そうした梨本独特のパフォーマンスが、活字の記者タイプでなく、映像向きととらえる人が多かったのだろう、彼は誘われて、その後、テレビの芸能リポーターに転身した。
その後の活躍ぶりは言わずもがなである。
たばこも吸わなかったのに、肺がんとは・・・・。
そして、私と同い年。
夏が往く。
私は、なんとかこの夏を越えられそうだが、越えられずに逝ってしまった友人がこの夏3人になった。
今週は、浅草の夏の最後を盛り上げる「浅草サンバカーニバル」。
老体ながら、若いもんに混じって、カーニバルの行列の中で腰をひねることができる私は幸せだ。
*「浅草サンバカーニバル」については、昨年の8月のブログ「浅草サンバカーニバル」を参照ください。
梨本ちゃんと逢ったのは、今から40年近く前の昭和47年。
当時、立花隆さんが出していた新宿ゴールデン街の「ガルガンチュア立花」という店だった。
私は「週刊現代」の記者で、かれは同じ講談社の「ヤングレディ」の記者だった。
目をぐリぐりさせ、身ぶり手ぶりをまぜながら機関銃のようにまくしたてる、そのパフォーマンスに、駆け出しの週刊誌記者だった私は、「なるほど芸能記者とはこのような存在か」と感心させられたものだ。
そうした梨本独特のパフォーマンスが、活字の記者タイプでなく、映像向きととらえる人が多かったのだろう、彼は誘われて、その後、テレビの芸能リポーターに転身した。
その後の活躍ぶりは言わずもがなである。
たばこも吸わなかったのに、肺がんとは・・・・。
そして、私と同い年。
夏が往く。
私は、なんとかこの夏を越えられそうだが、越えられずに逝ってしまった友人がこの夏3人になった。
今週は、浅草の夏の最後を盛り上げる「浅草サンバカーニバル」。
老体ながら、若いもんに混じって、カーニバルの行列の中で腰をひねることができる私は幸せだ。
*「浅草サンバカーニバル」については、昨年の8月のブログ「浅草サンバカーニバル」を参照ください。
2010-08-24 12:41
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