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桜・・・・一進一退

仕事場の窓から、町内の公園に10本ほど植えられた桜が見える。
数日前に足を運んで、陽当たりのいい場所の枝にひとひら、ふたひら開花しているのを発見した。
今年も意外に早いのかもしれないと思ったが、ここ2、3日の冷え込みで、満開はかなり先になりそうだ。

桜が咲く頃になると心が騒ぐ。
毎年、この時期になると、隅田川沿いを歩いて北上し、浅草の隅田公園の桜の具合をチェックしにいくことにしているのだが、川が近いせいか、隅田川畔の桜は上野や千鳥ヶ淵よりも3~4日開花が遅れるようで、今年もまだつぼみは硬い。
昨年は、浅草のほかに千鳥ヶ淵~靖国神社~市ヶ谷土手のコース、上野公園、深川の小名木川畔、仙台堀川畔、立石の区役所通り?の桜を見に行った。
もちろん「花より団子」で、その行き帰りに気の利いた酒場があれば言うことはない。
さて、今年は、どこらあたりの桜を眺めに行こうか・・・・少しずつ心が騒ぎ始める。

インターネット上の高校ってどう?

高校入試のシーズンだ。
都内では、23日に都立高校の入試が行われたようで、飲み屋で息子の入試の首尾について話しているお父さんの姿を見てなつかしいような、身につまされるような気分になった。
最近は、小学校や中学校(いやそれ以前から)でお受験の荒波にもまれている子どもたちがいるが、新潟市の中でもいなかの地域で育った私は、高校へ進むこと自体が地域のコミュニティから脱して、未知の世界に踏み込むようなわくわく感があった(毎日、通学列車に乗れるのがうれしかった)。
当時の私の中学校は、進学校でもなかったので、6割以上が就職をしていたと思う。
家業を継いだり、集団就職で首都圏へ出たり(歳がばれてしまうか)。
時代が違うといってしまえばそれまでだが、いまの中学生は、ほとんどが高校に進むのは当たり前だと考えているのだろう。

ところが、さまざまな理由があって高校に進めない(進むのが不得意?)な子どもたちもいるらしい(単に、経済的な理由だけではなくて)。
勉強嫌いだったり(この場合は、学校の勉強という意味)、コミュニケーション力がなかったり、体に障害があったり、中学生の頃からさまざまな理由で不登校だったり・・・・。
こうした子どもたちを受け入れるいろいろな教育施設も、あるにはある。
先日、株式会社立の、インターネット上の通信高校が開校するというので話を聞きにいってきた。

私立の学校法人は、まあいってみれば株式会社と同じようなものだから、株式会社立といわれても驚きはしないが、それをインターネット上につくってしまおうというのだ。
運営するのはアットマークラーニングという会社で、社長の日野公三さんは、もとリクルートの社員だった人。
リクルートでは通信事業などをてがけ、10数年前、神奈川県の第三セクターの役員をしていた頃、視察先のアメリカでネットによる在宅学習に出会ったという。
2004年に、日本で初めて株式会社による通信高校を石川県で開校し、インターネットを使った授業ですでに300人の卒業生を送り出している。

こんど開校する高校は、福岡県田川郡・川崎町の廃校となった小学校に拠点を置くという。
文科相から認可がおりた「教育特区制度」を活用するもので、高校名は「川崎特区アットマーク明蓬館高校」と長ったらしい。
川崎町は、昔、炭鉱でさかえた筑豊地域にあるが、最近は過疎化が進み元気がない。
町長の手嶋秀昭さんは旧国鉄~福岡県議会議員という経歴をもち、通信高校の拠点を町に置くことで、スクーリングなどを含めた町の活性化に期待しているようだ。

校長先生になる人は、兵庫教育大学名誉教授の成田滋さん。
「年金でのんびり暮らそうと思っていたが、インターネットを使うことで、これまでにない教育形態に接することができる」と、65歳を過ぎて新しい分野にチャレンジすることにしたという。
成田さんたちは、上からの目線で教える「ティーチング」ではなくて、下から支える「コーチング」を重視している。
先の、石川県の通信高校の場合、全国から集まる生徒の中には、さまざまな理由でふつうの高校に進まなかった生徒も多いが、入学者の9割が卒業(高校卒業資格を取得)し、大学や専門学校などに進んでいるケースも多いという。

自分の高校時代の学習態度を思い起こしてみると、いまから考えれば、毎日、予習と復習をきちんとくり返していればあれほどテストで悩まなかったのではないか、のちの大学受験で苦労しなかったのではないかと思う(クラスの中には、アタマのいいヤツもいたけれど、出来るヤツは予習・復習をきちんとやっていたのだろう)。
それと同じで(厳密には多少違うが)、たとえインターネット経由であろうと、ふつうの高校で使われるような教材をベースにして授業が行われ、生徒に意欲があるなら、高校で教わる勉強は身につけることができるし、大学受験にも対応できるのではないか。
学校生活の形態は、ネットでのサポートを中心にしたネットコーチングと、品川にあるキャンパスで少人数教育を受けるスクールコーチング、自分自身で計画を立てて行うセルフコーチングがあり、生徒は個人用の「マイページ」にログインして教員から指導を受けるほか、年間、数日のスクーリングでは川崎町の学校に集まって農家民泊や農業体験、自然学習などもできるのだという。

いま、日本にはこうした株式会社が教育特区を活用して運営する通信制高校が19校あるという。
先進のアメリカでは、100校のインターネット高校に40万人が在籍し、ほとんどが株式会社立だという。
この「明蓬館高校」どんなふうになっていくのだろう。
筑豊の、廃校となった小学校を利用したスクーリングなんて、おもしろそうではないか。

この春、胸ふくらませて高校に進む子どもはどれくらいいるのだろう。
どういう高校であれ、人や知識、経験・・・・未知なるものと出会うわくわく世界であってほしい。

蛇足だが、私は、高校入学が決まった春休みに、はじめて近所の鉄工所でアルバイトを経験し、吉川英治の「宮本武蔵」を読了した。
先日、必要があって「宮本武蔵」を再読したが、あのときのわくわく感は感じられなかった。

プリンターはなぜ安いのか?

9年前から、キャノンのモノクロレーザープリンターを使っています。
時には、1日に数十枚プリントすることもあり、個人的にはかなり酷使していると思うけれど、まだへこたれない(最近、紙の吸い込みが弱くなってきたかも?)。えらいものです。
9年前に、2万円弱で買った覚えがあります。
その時、ずいぶん安いものだなあと思った記憶がありますが、実は、メーカーは一度本体を売ってしまえば、その後、半永久的にインクのカートリッジを売り続けることができるわけで、実はトータルではインクカートリッジで儲けているわけです。
まあ、そんなことは、使っているうちにカラクリがわかってしまいましたが。

2年前に、オフィスの移転を機に、ファックスとコピーとプリンターとスキャナの複合機(インクジェット方式)導入しました。
これはカラーで印刷できるすぐれものでしたが、ぼくはカラーはほとんど必要なし。
そこで、「モノクロだけで印刷できるものはないのか」と確認すれば良かったのですが、「ふだんはモノクロしか印刷しないんだけど」といい加減なアピールですませてしまいました。
すると「カラーでなくても、モノクロだけでも印刷できますよ。インクがなくなったら補充して下さい」というではありませんか。
カートリッジはブラック、イエロー、シアン、マゼンタと4色入っているけど、てっきり、使われるのはブラックだけで、それがなくなったらブラックだけ買い足せばいいのだと思ってしまいました(そのとき、店員さんの補足の説明もありませんでした)。

ところが。
装てんされたインクカートリッジは、カラーを印刷しなくても、毎月、定期的にカートリッジの清掃に使われるために、すべてのインクが少しづつ減っていくことがわかりました。
そして、モノクロの印刷をするためには、ブラックだけがあればよいのでなく、カラープリンターとしての性能を持たされた本機は、ブラック以外のカートリッジがなくなった場合でも印刷不能になることがわかりました。

本機をプリンターとして使う機会はないし(プリンターはモノクロレーザーがあるので)、幸いなことに、この機械はパソコンにつないでパソコン画面でファックスを見たり、必要ならば印刷する機能もそなえていたので、本機の印刷機能とはおさらばして、ファックスもパソコン上で処理することにしました(これはこれで、まことに快適です)。

ところが、その複合機についているディスプレイが「カートリッジがありません」「スキャナカバーをあけてください」・・・・と新しいカートリッジを装てんせよと催促するのです。
印刷機能は必要ないのだから、このおせっかいなディスプレイをなんとかせねばと、表示をなくする方法をコールセンターに尋ねました。
すると「その複合機は、インクカートリッジが4本きちんと入っていて、正常にディスプレイに表示が出るようになっています。印刷をするしないにかかわらず、カートリッジは入れておいて下さい。そうでないと、その他のエラーメッセージなども表示されなくなり、見逃してしまうことになりかねません」という返事でした。
さきほど述べたように、この機械は印刷をするしないにかかわらず、カートリッジを装てんしておくと定期的なクリーニングで確実にインクの残量は減っていくのです。
まったく、メーカー思いのすぐれもの機械というか、うまくできた話ではありませんか。

「そんな、インクごときにケチケチするな?」
そりゃあそうですが、プリントもしないのに、インクが減っていって取り換えるたびに数千円もするんですよ。

きちんとカートリッジが入っていた頃は、ディスプレイには時計が表示されていてけっこう重宝しましたが、いまは「カートリッジがありません」「スキャナカバーを開けて・・・・」とご親切な案内ディスプレイが出るばかり。
たしかに、この機械は複合機としても安かったけど、こんな仕組みがあったとはなあ・・・・と複雑な思いで眺めております。

関連サイト
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200712201143

「感染列島」「パンデミック 追跡者」

先日、取材に出かけるため、じつにひさしぶりに朝の通勤時間帯に地下鉄に乗った。
毎朝、こんな状況では、決まった時間に会社に行かなければならない人は大変だろうなと同情した。
40年以上も前、広告代理店に勤めていた頃、通勤ラッシュにもまれたことがあったが、始業が9時半だったのでそんなに深刻な思いをした覚えがない。

そして、こんな状態で「新型インフルエンザ」が流行したらひとたまりもないだろうなと思った。
カゼかなと思っても、仕事に対する責任感で無理してでも会社にでかけていく人がおおぜいいるだろうと思うからだ。

昨年の秋、企業の事業継続マネジメント(BCM)との関連で「新型インフルエンザ」にふれたことがあった。
今年に入って、新型インフルエンザをテーマにしたセミナーがさかんに行われている。
新型インフルエンザの爆発的な流行(パンデミック)で社会がパニック状態に陥ったら、どのような企業といえどもその社会的な存在として新型インフルエンザに対するスタンスを問われることになる。
国や自治体の指示にしたがうといった態度は許されないのだ。

というわけで、これまで取り組んできた企業のBCMに加え、新型インフルエンザ・パンデミックに関しても、なんとか書籍にまとめられないかと、動き始めている。

そこで(というわけでもないが)、先日上映が始まった「感染列島」はどんな出来になっているのだろうかと思い、とりあえず、映画のノベライズ版(湧井 学著・小学館文庫)を読んでみた。
原因不明の感染症と闘うパニック小説は、古くはロビンクックの「アウトブレイク」とか、直木賞受賞前に篠田節子が書いた「災厄の夏」などがあった。
まだ映画を見ていない人にはまことに申し訳ないが、この映画のテーマは、じつは新型インフルエンザによるパンデミックではなかった・・・・ので、見ることはやめにすることにした。
ただしかし、感染症が蔓延してパンデミックになると、どのように社会不安をあおりパニック状態になるかといった怖ろしさは実感できた。
パニック映画としてはおもしろくできているのではないか。
主演は、いま話題の俳優、あの直江兼続の妻夫木聡クンだし。

「新型インフルエンザ」については、国立感染症研究所をはじめ、いろいろな研究機関や医療関係の専門家がしゃべっているが、この分野で第一人者と言えば、もと小樽市保健所所長だった外岡立人さんだろう。
保健所長のころから、自分のブログで新型インフルエンザの脅威について克明に語り続けている。

http://homepage3.nifty.com/sank/jyouhou/BIRDFLU/2008/DIARY/index2.html

驚くなかれ、この「徒然日記」というブログでは、ほとんど毎日、内外の新型インフルエンザに関する新情報を含めて、外岡さんの意見がつぶさに語られている。
保健所長をやめたいまは、マスコミから意見を求められ、各地を講演し、小説の執筆にも忙しいようだ。

その外岡さんが、昨日「パンデミック 追跡者」という本を上梓したという。
外岡さんは、若い頃から小説を書きつづけてきたようで、今回の本は自らの経験を踏まえて新型インフルエンザの脅威を描いたものらしい。
超多忙なスケジュールを縫って、すでに第2弾の原稿も完成に近いのだとか。
そのエネルギー、精神力には恐れ入ってしまう。
これは、さっそく入手して読まずばなるまい。

前回も書いたけれど、ここ何十年もの間、カゼで寝込んだことは1度もない(原稿の締切が間に合わなくて「カゼで・・・・」と言い訳をしたことは何回かあるが・・・・)。
それは、体がじょうぶだからだと思い込んでいたが、よく考えてみたら、ぼくは、朝夕の通勤ラッシュにもまれる経験をこの数十年間ほとんど経験しなくてもいい生活パターンを送っていたからだということに気がついた。

早く、「新型インフルエンザ・パンデミック+BCM(企業の事業継続)」の書籍を形にしなければと思う。

天地人が好評で・・・・

しばらくサボっているうちに、年が改まってしまった。
あれも、これも、とくにオバマ新大統領のことなど、書かなければと思いつつ、もう一方でやっている競馬のブログの方がいそがしくて・・・と言い訳。

新潟出身ということばかりでもないのだが、NHKの大河ドラマ「天地人」が好調らしいのがうれしい。
直江兼続の幼少時代・与六を演じた子役の演技が光り、初回からぐっと視聴者の心をつかんだようだ。
これまで、大河ドラマはほとんど見たことがなかったが、新潟が舞台ということで、機会があればチャンネルを回すようにしている。
原作者の火坂雅志さんとは同じ新潟高校の出身だし、新潟市サポーターズ倶楽部の会員同士でもあるし。
原作は読んでいないが、たぶん、脚本もひじょうにうまくできているのだろう。
見ている者の興味と心をとらえて離さない。
新幹線で無料で配られる「トランヴェール」でも、直江兼続の特集をしたら持ち帰る人が多く、新潟駅では追加注文したという話もある。

最近は「レキジョ」と呼ばれる歴史好き、武将好きの女子が増えているのだとか。
それを当て込んだビジネスも登場しているらしく、新宿南口に「天地人<愛>カフェ」なるものも登場したという。
http://niigata-city-sc.jp/club_info//2009/01/post_188.html
愛を語りたい「レキジョ」が集まっているのかもしれない(2月中旬までの限定開店だそうだ)。

東京は、比較的好天が続いているが、こういう日は、日本海側はほとんど雨か雪なのである。
一昔前の、新潟人の粘り強さ、あるいは引っ込み思案といったところは、こうした冬の(暗い)天候に影響を受けているのではないかと思っていた。
いまでは新幹線で2時間で行けるし、マスメディアのおかげで言葉もファッションも東京あたりとすっかり同じになってしまった。
喜ぶべきか、悲しむべきか。

毎年、この時期に、新潟市では「にいいがた冬の陣」と称して、さまざまな食のイベントが開催されている。
新潟の酒500種が一堂に集まったり、冬の日本海の名物「のどぐろ」や「南蛮海老」を堪能したりと、ぜひこの機会に、いちど新潟に足を伸ばしてみてください(と、今回は新潟のPRになってしまいました)。

Firefoxの威力、ATOKの意地

毎朝、パソコンを立ち上げるとメールやRSSで配信される情報をチェックするのがルーティンワークになっています。
メールで配信される情報の中には、Webサイトにアクセスして、さらに目的のページにたどりつくまで何回もマウスをクリックしなければならないことがあります。

最近、そうした動作がにわかに重たく感じられるようになりました。
目的のサイトにたどりつくスピードが遅い。
クリックしても、素早くサイトが開かない。
1秒の何分の1くらいの停滞なのだが、妙に気になっていらつく。

ブラウザを変えてみよう。
いまパソコンを買うと当たり前についてくるマイクロソフトのIEではなくて、フリーソフトでいろいろ軽快なブラウザが出ているらしい。
メールのソフトは、2年前にGmailに切り替えています。
最近、Googleから「Chrome」というブラウザが出たので、Gmailとは相性がいいのではないかと思ったのですが、前から「使い勝手がいい」と評判がよかった「Mozilla Firefox」を導入してみました。

いやはや、びっくりしました。
これほど軽快で快適とは。IEとは段違いの使い良さ。

「アドオン」(追加)で、さまざまな機能をもったフリーソフトを取んでGmailのツールバーにボタンを表示できるので、Gmailを立ち上げておきさえすれば、あらゆるサイトへ飛んでいけるポータルに早変わり。
パソコンにプリインストールされているからと、これまで漫然とIEを使って来られた方は、一度試してみる価値はあるのではないかと思いました。

同じように、最近、Microsoft Excelを使う必要に迫られて、はじめてパソコンに導入したところ、文章を書こうとすると「MS-IME」(日本語入力ソフト)がじゃまをして、書きづらいこと書きづらいこと。

ぼくが、商売道具にパソコンを導入したのは1986年のことでした。
当時すでにワープロ専用機というのが出ていましたが、使い物になりませんでした。
ストレスなく使えるならワープロ専用機でなくパソコンでと思っていたのですが、ちょうどNECから「98-VM2」出て(このVM2はその後大ベストセラーになった)、そこにジャストシステムの「一太郎バージョン3」が乗っかって、やっと原稿書きに使えそうになったので導入したのです。

当時は、いまのパソコンの何百分の一くらいの性能しかありませんでした。
なにしろ、当時の一太郎は8インチのペラペラのディスクの中に入っており、それを自分でコマンドを書いてMS-DOS上に呼びだし、辞書を仮想メモリに移して使っていました。
そんなパソコンと、印字すると音がうるさいドットのプリンターとで、驚くなかれ、値段は80万円もしたのです。
鉛筆と原稿用紙があれば仕事はできるけれど、ワープロのアウトライン機能(なつかしい言葉)と何度でも上書が効く便利さ、つまり完成原稿にするまで何度も清書をし直さなくて良い便利さには変えられませんでした。

一太郎についてきた日本語変換ソフト「ATOK」とは、その頃からのつき合いで、いま使っているATOKには、延々と貯え、鍛えてきたぼくならではの辞書がおさまっています。
文字変換の順序も手に染み込んでいます。
これがないと、原稿をかくことは不可能。

ところが最近は、文字を書こうとすると「MS-IME」がじゃまをしてしまって、変な変換をしてしまう。
「MS-IME」は、Windowsのパソコンを買うとインストールされてついてくる日本語変換ソフトで、ふだんWordなんかを使う人でも、日常的に使ってしまっているかもしれなません。
しかし、Windows Vista以降は、この変換がムチャクチャになっているらしく、あちこちでひんしゅくを買っているという話を聞きます(どうも、いまのMS-IMEの開発陣は中国に移っているらしい?)。

これまでと同様に、ふつうの文章を書いても、ふつうに日本語に変換されないのです。
ましてや、短縮文字で登録してある辞書を呼び出そうとすると、まったくとんちんかんな語句になってしまう。
頭にきて、キーボードに八つ当たりする始末。ストレスもたまります。

なんとか、このMS-IMEをウラに引っこめる方法はないかといろいろやってみるのですが、うまくいきません。
そこで、ネットで「ATOK 日本語変換」を検索してみたら、ジャストシステムが来年の2月にATOKの新バージョンを発表するというニュースが載っていました。
すでに6年近くも古いバージョンのATOKを使ってきたので、そろそろバージョンアップしてもいいかな、そう思いながら調べてみたら、なんと、1か月間無料で「ATOK2008版」を使えるサービスがあることを発見しました。
さっそくインストールさせてもらいました。
これまで貯えた辞書もそのままインポートして使えます。

最近のケータイの日本語入力みたいに、常套句は何文字か入れると続きの語句の候補が出てくるなど、新しいワザも盛り沢山です。
パソコン画面の右下には、にっくき「MS-IME」の表示が消えて、懐かしい「ATOK あ R漢 般・・・・」というATOKの表示が出ています。
安心して文章が書けます。

昔は、ワープロといえば、「一太郎」を指す言葉でした。
しかし、Wordが登場してからは、一太郎の市場はどんどん侵食され(だって、WindowsのPCを買えばWordがついてくるのだからずるい)、いったいいまはどれくらいの人が使っているのでしょう。

しかし、ATOKはしっかりしぶとく生き残っている。
日常的に文章を書いている人の多くが、ATOKのファンであるようです。
ATOKの意地ですね。
さすが、と思いつつ、こうして軽快にさくさく文章を書けるのはじつにうれしいことです。
来年は、久々にバージョンアップしてやらないといけないかな。

パンデミックの脅威

最近、「新型インフルエンザ」という言葉をよく耳にするようになった。
厚生労働省の試算によると、世界的なパンデミック(感染症の大流行)が発生した際、日本では最悪の場合、発症者は全人口の25%にあたる3200万人。死亡者数は64万人に及ぶという。

この2年ほど、企業のBCM(Business Contnuity Management=事業継続マネジメント)というテーマを追いかけている。
先週、ミッドタウンで行われたBCM関連のセミナーに参加したら、企業の事業継続(事業が中断するようなリスクをいかに回避するか、事業が中断した際にいかに迅速に元の状態に戻すか)の問題でも、この「新型インフルエンザによるパンデミック」が大きなテーマとして取りあげられていた。

これまで、BCMのテーマには地震、水害などの自然災害やITなどのシステム障害、海外ならばテロ破壊活動などが深刻な問題として取りあげられてきた。
いま日本でも、企業や行政がそれなりの対策を講じようと動き始めているのだが、ここに来て「新型インフルエンザ」という新しい問題が加わったわけである。
新型インフルエンザは、人間が発症し、感染のおそれがあるために社員が出社できなくなり、事業を中断しなければならなくなるので企業にとってもやっかいな問題なのだ。
いまのところ、いつ起こるか、どれくらいの規模で感染するのかもわからない。
しかし、いざという時のために、企業もそれなりの対応策を講じておかなければならないというのが現状なのである。

企業ばかりではない。
かんじんの、患者を受け入れる医療の現場も戦々兢々としているという。
民間病院で、新型インフルエンザの患者を治療しているという事実が広がれば、感染を恐れて他の病気の患者が病院に来なくなるかもしれない。
一方、医師が不足している地方の医療機関は、すでに崩壊の危機に瀕しているのに、起こるか起こらないか分からない新型感染症の対応をしているひまはないという。

新型インフルエンザが怖いのは、誰一人として免疫をもっておらず、外国で発症したとしてもほんの数日で世界中にまん延する危険性があることだ。
国、地方自治体、企業などが一体となって対応していかなければならないというのだが、それにしては盛り上がりに欠ける(情報が少なすぎる)。
変なウワサやデマが広がらないよう、抑えているのだろうか。

ぼくは「60年間医者知らず」と、とにかく体がじょうぶなことに感謝してきたが、話を聞き、実情を知るにつれ、こと新型インフルエンザに関しては自信がもてなくなってしまった。
といって、ではどうするかという具体策も浮かばない。
妊婦をたらい回しにせざるをえないような状況のいまの病院に、期待もできそうにないし・・・・。
「自分だけは絶対に罹らないようにする」と決めても、外出しなければならないし、電車にも乗らなければならないし、人が集まるところにもでかけなければならないからなあ。
困った。

パンデミックに関して、わかりやすい最新の情報は以下のURLで。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/338/index.html

映画「降りてゆく生き方」

私は、新潟市出身ということで、新潟市のことなら何でも応援してしまおうという「新潟市サポーターズ倶楽部」の会員である(厳密には中国生まれ、新潟市育ち)。

映画「降りてゆく生き方」がクランクアップして、来年の上映を待っている。
武田鉄矢さん主演で、新潟県内をロケした「地方発」の映画で、団塊の世代の営業マンが主人公。
競争社会を生き抜いてきた主人公が突然、社会や家族から見捨てられ、新潟で新しい生き方を見つけ出していくというストーリー(だそうだ)。
制作には多くのボランティアが参加し、出演者のオーディションには1700人以上が参加。
熱心さに打たれ、そのほとんどを出演させてしまったという恐るべき映画だ(という)。
私が育った町の懐かしの「五十嵐浜」や、高校時代に流した新潟市内のあちこちの街並みも登場する(らしい)。

「昇ってゆく生き方」から「降りてゆく生き方」へ。
カネを稼ぐ、出世することが幸福に直結するのか?
カネや財産以外に、人に幸福をもたらすものはないのか?
物質的に豊かで便利なのに、なぜ日本人は、生きづらく、絶望し、不幸になっているのか?
(プロデューサーで弁護士の森田貴英さんのことば)。

新人の森太熊(もりたくま)さんは、リクルートの営業マンで全国一になったが、「競争社会で生きるのは自分に合っていない」と、文字通り生き方を見つめなおして、役者になると決め、降りてゆく生き方を選んだ人。

映画は、大手の映画館で派手に封切られるのでなく、全国各地でこの映画を応援する人たちの自主上映を中心に展開されてゆく。
森さんはいま、雪の舞いはじめた新潟で、映画の上映を盛り上げるために東奔西走しているようだ。

ぜひ、機会をみつけて「降りてゆく生き方」を見てください。

私たちは、上ばかり、カネばかりめざす生き方ではなく、「降りてゆく生き方」を見直す時期に来ているのではないだろうか(私は、降りてゆく生き方ばかり選んできたような気がする・・・・)。

映画「降りてゆく生き方」 http://www.nippon-p.org/blog/

「降りてゆく生き方」関連ニュース http://jp.youtube.com/watch?v=rff7xqzigVU

森太熊 http://38.xmbs.jp/moritakuma/

森太熊となかまたちのブログ http://ameblo.jp/w-may-w/

「最後の冒険家」

「最後の冒険家」(石川直樹・集英社)を読了。

今年度の「開高健ノンフィクション賞」の受賞作である。
熱気球による冒険飛行の第一人者である神田道夫さん(今年の2月に太平洋横断に挑戦して遭難)との出逢いと別れを、若い冒険家・石川直樹さん(31歳)がつづったものだ。

神田さんは、2000年に熱気球による西ヒマラヤ最高峰ナンガパルパット越えに成功して植村直己冒険賞を受賞した。しかし、企業などのスポンサーを得て華々しくパフォーマンスを演じる冒険家ではなく、本職は埼玉県川島町役場の職員。アマチュア冒険家だ。
役職につくと好きな熱気球ができなくなるので、ヒラの職員で通し、時間をみつけては熱気球による未踏の世界記録に挑戦し続けた。
石川さんは、2004年に神田さんと一緒に太平洋横断に挑戦し、失敗して大平洋に墜落。二人とも九死に一生を得ている。

神田さんは、今年の2月に再び単独で大平洋横断に挑戦して帰らぬ人となった。
その神田さんとの出逢いと別れを平易で読みやすい文体で描いている。
なぜそこまでして無謀とも思える冒険に挑戦するのか・・・・もう少し神田道夫の内面に分け入ってほしかったが、神田道夫の冒険を淡々と描くことで、冒険に挑戦する作者自身を問いなおすことにつなげようと思ったのかもしれない。

石川さんは、世界的な冒険家、植村直己やラインホルト・メスナーの時代に、「地理的な冒険」は終わっていると書いている。
そして、冒険家という存在自体もありえないものになったという。
昔と今とでは、肉体的、地理的な冒険は、その意味がまったく異なってしまったからだ。

そして、石川さんはこう書く。
「地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験していることそのものだとぼくは思っている。日常における少しの飛躍、小さな挑戦、新しい一歩、そのすべては冒険なのだ」と。

おれは、はたして冒険しているだろうか?

なれなれしく石川さんと書いたのは、私自身、この開高健ノンフィクション賞の選考に多少関わりをもっているからだ。
21日は、集英社の他の賞(柴田錬三郎賞・・・今年は唯川恵、すばる文学賞、小説すばる新人賞)と一緒に帝国ホテルで贈賞式が行われる。
式のあとのパーティで、今年のボジョレーヌーボーを飲みながら、石川さんから生の話が聞けるのが楽しみだ。

最後の冒険家

最後の冒険家

  • 作者: 石川 直樹
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/11/21
  • メディア: 単行本



ブログ再々開。馬券攻略本を出しました。

昨年の12月以来、1年近くブログを休んでしまいました。
その間、毎日、数人の方がこのブログを尋ねてくださり、総閲覧数が1万以上にも上っていることがわかりました。
このブログをのぞいた方は、休止していることを発見して、そそくさと去って行かれたのだろうか。
どのようなキーワードやきっかけでここを尋ねてくださったのか、まことに失礼なことをしてしまったと反省しています。

この不況を受けて(ということよりも何よりも)、いまは出版界も年々景気は下降気味で、われわれフリーのライターも、老骨にむち打たなければ荒波を漕ぎ渡っていくことはむずかしい。
精神的にもきびしいときに、本来の原稿を書かないでブログばかりに一生懸命になるのはどうかという思いもあって書けなかった(というのは言い訳)。

これからは、初心に戻って、私にしか書けない一次情報を書いていくことにしたいと思います。

突然ですが、じつは私は、昭和43年の有馬記念のときからJRAと果てしのない闘いを続けてきており、最近、その闘いの成果というか、ささやかな馬券攻略本を総和社というところから出版させていただきました。
筆名は「久保川 真」で、タイトルは「オッズで見抜く爆走パターン『Z馬を探せ!』という本です。
競馬に興味のある方は、ぜひご一読下さい。
決して、損はさせないという自信があります。

「Z馬を探せ!」というブログも開設しています。
こちらの方は、週に3回ほどリアルタイム情報を書き込んでいます。
ぜひ、のぞいてみてください。
http://z-ba.blog.so-net.ne.jp/



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